2009年06月15日

三陸海岸(さんりくかいがん)は、東北地方の

三陸海岸(さんりくかいがん)は、東北地方の太平洋側、青森県南東端から岩手県沿岸部を経て宮城県の牡鹿半島までの海岸の総称。総延長600km余り。日本有数のリアス式海岸で、観光および世界三大漁場「三陸沖」などでの漁業が主要産業となっている。海岸の中部には、本州最東端の魹ヶ崎(とどがさき。岩手県宮古市内)がある。

江戸時代には、現在の岩手県釜石市を境に、北側が南部藩(八戸藩および盛岡藩)、南側が仙台藩の知行域となっていた[1]。江戸時代において、この海岸全体を指す言葉は不明である。

現在の海岸名は、1869年1月19日(明治元年旧暦12月7日)に旧陸奥国を分割して設置された陸奥・陸中・陸前の3つの陸の付いた令制国にまたがるリアス式海岸として、一体的に命名したことに由来する。命名者と命名時期は不明。

三陸海岸に面する地域は、地理的な位置や産業構造の類似性から、一括して「三陸地方」あるいは、単に「三陸」と呼ばれることも多い。すなわち、「三陸」は陸奥・陸中・陸前の3国全域を指すことより、この三陸海岸地域を指すことが多々見られるので、注意が必要である。同様に、旧国名を用いながら旧国の領域より狭い地域を指す例として、房総や両毛などがある。

岩手県宮古市を境に、北部は隆起地形で断崖絶壁の海岸となっているため、港に適した場所が少ない。そのうち、青森県八戸市から岩手県久慈市辺りの海岸沿いでは、絶壁の上は台地状でなだらかであるため、漁業よりも農業・牧畜などが盛んである。この地域は、千葉県銚子市の屏風ヶ浦やイギリスのドーバーのような土地利用や風景となっている。また、種差海岸のような天然の芝生で覆われた海岸も見られる。
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一方、宮古市よりも南は沈降地形のリアス式海岸となっているため、水深の深い入り江が多く、天然の良港となって漁業が盛んである。世界三大漁場「三陸沖」には、この南部の漁港から主に出漁する。台地上のところはほとんどなく、海に面した急峻な谷間にできた沖積平野が陸上の主な生活の場である。江戸時代には、干しアワビ、フカヒレなどの長崎俵物(中国向けの輸出品)の産地となった。

海岸沿いには国道45号、八戸線、三陸鉄道北リアス線・南リアス線、山田線、大船渡線、気仙沼線が通っている。海岸沿いには北山崎、浄土ヶ浜、碁石海岸、金華山など多数の景勝地があり、遊覧船が就航されている所もある。

2009年05月30日

大奥総取締

大奥を舞台にした小説・舞台・映画・ドラマなどでよく登場するのが、「大奥総取締・〜〜にござりまする」というあの場面。特に近年の映画やドラマではこれをよく耳にするようになった。このため「大奥総取締」は大奥を語る上での不可欠な役職だと思われがちだが、実はそうした名称の役職は大奥に存在しなかった。ではこれがまったくの創作上の代物なのかというと、実はそうでもない。大奥にはどの時代にも奥向き一切を取り締まることを任された取締役の女性が存在したからである。
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大奥は時代が下るにつれて規模が肥大化し、それに伴って数多くの役職が置かれていったが、その頂点に立つのが上臈御年寄や御年寄といった取締役(統括管理職)だった。しかしそもそも大奥とは将軍の私的な生活の場であり、将軍とは江戸城における絶対権威者である。いかに大奥が取締役の職掌を制度上定めたとしても、その実際の運用にあたっては結局のところ「お上のご寵愛」という、将軍個人の極めて私的な感情によって左右される要素が介在することを排除できなかった。したがって時代によっては、時の将軍が最も信頼する乳母や側室などが、その将軍の絶対権威のみを背景に、奥向き一切を取り仕切っていた場合もあったのである。これは御鈴廊下を隔てた表向きにおいて、大老や老中といった幕府の機構上の最高責任者がいても、時代によっては将軍が最も寵愛する御側用人がその将軍の権威のみを背景に幕政の諸事万端を司っていたことがあるのと同様である。

大奥に「大奥総取締」という名称の役職は確かに存在しなかった。しかし大奥はどの時代も「事実上の大奥総取締」というべき職掌を担った一人の女性によって統括されていた。この二点を混同しないよう気をつけたい。

2009年04月26日

将軍暗殺

このころ幕府の最長老格となっていた赤松満祐は、義教に疎まれる様になっており、永享9年(1437年)には播磨国、美作国の所領を没収されるとの噂が流れている。義教は赤松氏の庶流の赤松貞村を寵愛し、永享12年(1440年)3月に摂津国の赤松義雅(満祐の弟)の所領を没収して貞村に与えてしまった。

同年5月、大和国出陣中の一色義貫と土岐持頼が義教の命により誅殺された。「次は義教と不仲の満祐が粛清される」との風説が流れはじめ、満祐は「狂乱」したと称して隠居した。

嘉吉元年(1441年)4月、持氏の遺児を擁して関東で挙兵し、1年以上にわたって籠城していた結城氏朝の結城城が陥落(結城合戦)した。捕えられた春王、安王は、護送途中の美濃国垂井宿で斬首される。これより先の3月、出奔して大和国で挙兵し、敗れて遠く日向国へ逃れていた弟の大覚寺義昭も島津氏に殺害されており、義教の当面の敵はみな消えたことになった。

6月18日、義教から家督介入の圧力を受けた富樫教家が逐電した。23日には吉良持助が出奔している。

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6月24日、満祐の子の教康は、結城合戦の祝勝の宴として松囃子(赤松囃子・赤松氏伝統の演能)を献上したいと称して西洞院二条にある邸へ義教を招いた。『嘉吉記』などによると、「鴨の子が沢山できたので、泳ぐさまを御覧下さい」と招いたという。

この宴に相伴した大名は細川持之、畠山持永、山名持豊、一色持親、細川持常、大内持世、京極高数、山名熈貴、細川持春、赤松貞村で、義教の介入によって家督を相続した者たちであった。他に公家の三条実雅(義教の正室三条尹子の兄)らも随行している。

一同が猿楽を観賞していた時、にわかに馬が放たれ、屋敷の門がいっせいに閉じられる大きな物音がたった。癇性な義教は「何事であるか」と叫ぶが、傍らに座していた三条実雅は「雷鳴でありましょう」と呑気に答えた。その直後、障子が開け放たれるや甲冑を着た武者たちが宴の座敷に乱入、赤松氏随一の剛の者安積行秀が播磨国の千種鉄で鍛えた業物を抜くや義教の首をはねてしまった。

酒宴の席は血の海となり、居並ぶ守護大名たちの多くは将軍の仇を討とうとするどころか、狼狽して逃げ惑う。山名熈貴は抵抗するがその場で斬り殺された。細川持春は片腕を斬り落とされ、京極高数と大内持世も瀕死の重傷を負った。公家の三条実雅は、果敢にも赤松氏から将軍に献上された金覆輪の太刀をつかみ刃向うが、切られて卒倒。庭先に控えていた将軍警護の走衆と赤松氏の武者とが斬り合いになり、塀によじ登って逃げようとする諸大名たちで屋敷は修羅場と化した。

赤松氏の家臣が、将軍を討つことが本願であり、他の者に危害を加える意思はない旨を告げる事で騒ぎは収まり、負傷者を運び出し諸大名たちは退出した。

貞成親王の『看聞日記』は「赤松を討とうとして、露見して逆に討たれてしまったそうだ。自業自得である。このような将軍の犬死は、古来例を聞いたことがない」と書き残している。

2009年04月10日

アメリカ陸軍への徴兵通知を受けた

1958年1月20日に、エルヴィスはアメリカ陸軍への徴兵通知を受けた。当時のアメリカ合衆国は徴兵制を施行しており、陸軍の徴兵期間は2年間である。彼は特例措置を受けることなく、通常の兵士として西ドイツで勤務し、1960年3月5日に満期除隊した。エルヴィスは軍在籍中に、空手の黒帯を取得し、軍曹まで昇進した。徴兵命令が来た際、エルヴィスは「闇に響く声」を製作中で、徴兵を少し延期したことでも話題になった。徴兵局はパラマウントからの延期の申し入れに対し、「エルヴィスをよこして頭を下げさせろ」と伝えた。翌日、エルヴィスは徴兵局へ出向き、延期の申し入れを行った。軍に在籍中、病気にかかり軍の病院において扁桃腺炎だと診断された。その際、医師はエルヴィスの声が変調するのを恐れて、扁桃腺の切除手術は行わなかったが、回復し健康を取り戻した。

結婚そして離婚 [編集]
1967年5月1日には、ラスベガスのアラジン・ホテルでプリシラ・アン・ボーリューと結婚。プリシラはエルヴィスのドイツでの所属部隊長の継子であった。エルヴィスは母親と継父にまだ未成年であったプリシラを自分の父親とその妻の家に彼女を同居させ、有名なカソリックの女子高に通わせて、きちんと卒業させるということを約束してプリシラをメンフィスで暮らせるようにした。しかし、程なく二人はグレースランドで一緒に暮らすようになっていく。8年後に結婚し、1968年2月1日には娘リサ・マリー・プレスリーが生まれる。その4年後、結婚前から続いているエルヴィスの生活習慣(昼と夜が逆転した生活、メンフィス・マフィア-エルヴィスの取り巻き-といつも一緒の生活、さらに年間何ヶ月にも及ぶコンサートツアーによる別居生活などのさまざまな理由から、彼女は空手教師のもとに走り、二人の結婚生活は破綻してしまう。グレースランドを出たプリシラはリサ・マリーを引き取り、ロサンジェルスに住居を移す。73年10月9日に正式離婚。離婚後もエルヴィスとプリシラは友人関係にあり、以前よりも密に連絡を取り合うようになったという。エルヴィスがツアーでロサンジェルスにいるときは、彼女の家を訪れたり、なにか事あるごとにプリシラをグレースランドに呼び寄せたりして精神的にプリシラを頼りにしていた。二人は、リサ・マリーがまだ幼かったこともあって、二人が離婚したことでリサが不幸にならないようにと願っていた。リサとエルヴィスは頻繁に会っていたようだ。彼が死んだその日もリサはグレースランドにいた。

映画とエルヴィス [編集]
歌手として有名になっていくにつれて配給会社数社から出演の依頼が彼のもとに届いた。エルヴィスは大変喜んで、劇場に通いつめ、演技を独学で勉強した。初出演映画にはパーカー大佐がエルヴィスを映画の主演にさせたかったので20世紀FOX配給『Rino Brothers』を選んだ。エルヴィスはシリアスな演技派を目指していた為、映画内での歌には興味がないと公言していたが、結局パーカー大佐の要請で4曲も歌う羽目になりタイトルも『Love Me Tender』に変更されて公開された。エルヴィスは当時のガールフレンドに「映画会社がアホな曲を用意してきたんだよ。せっかくのいいストーリーが台無しになっちゃったよ」と不満を漏らしている。

陸軍入隊前までの1958年までに4作の映画が製作されたがいずれも挿入歌ありの主演映画に終始し、おまけに映画挿入歌を収めたアルバムが好評だったため、当時のショウビジネスの世界に新たなビジネスの形態を作り出した。1960年に陸軍除隊するとパーカー大佐は配給会社数社と長期に渡り出演契約を結んだ為、1969年まで1年に3本のペースで27本もの映画の製作が行われ、活動の拠点をハリウッドに移さざるをえなかった。おおよその映画は制作費を抑えた挿入歌アルバム付きのものが多かったが、『G.I. Blues』、『Blue Hawaii』、『Viva LasVegas(ラスヴェガス万才)』等、話題になったものもある。結局、1956年から1969年まで計31本の映画が公開された中で、エルヴィスが望んだ歌なしの映画は1969年公開の『Charro(殺し屋の烙印)』のみであった。

エルヴィスは脚本を叩きつけ、「ふざけるな!ボートにバイクに車の選手、全部同じストーリーだ」と激怒し、撮影現場に行かなかったこともあった。

この映画が製作された頃のエルヴィスは1960年代初期と違い、映画への意欲が薄らいでいた時期ではあった(1968年のカムバックを経て、残った契約の消化を急いでいた)が、久しぶりに前向きに臨んだ西部劇で役作りの為にあごひげまではやし撮影された。しかし、エルヴィスの主演映画に対する世間の注目度が低かったこと、脚本の出来もイマイチだったことなどが原因で映画の興行成績は振るわなかった。そういう状況の中、ミュージカル映画の枠を超えていなかったこと、台本の出来の悪さ、また、エルヴィスが力を入れて撮影したシーンがカットされたことなど、エルヴィスの仕事への不満は募っていき、それが歌手としてコンサート活動を再開するきっかけになった。

コンサート活動後も1970年8月のラスベガス公演やリハーサル風景を収めたドキュメンタリー映画『Elvis: That's the Way It Is(エルヴィス・オン・ステージ)』や1972年4月のコンサート・ツアーの模様を収めたドキュメンタリー映画『ELVIS On Tour(エルヴィス・オン・ツアー)』が製作され、好評だった。それ以降は映画の公開はなかったが、エルヴィスの死去後の1981年には、ほとんどを生前の映像等で構成したライフ・ストーリー的映画『This Is ELVIS』が公開された。これらを合わせると、エルヴィスが主演した映画は計34本となる。
1974年8月19日、ラスベガス公演中のエルヴィスの楽屋をバーブラ・ストライザンドが訪れた。彼女は自らが主演する映画『A Star Is Born(スター誕生)』での共演をエルヴィスに依頼し、エルヴィス自身も非常に乗り気だったと伝えられているが、後日パーカー大佐が出演料を理由に断った。

1970年代半ば、エルヴィス自身が起案し出演する空手家が主人公の映画の撮影を行ったが、完成することはなかった。理由の一つとして、エルヴィスの体調が悪くなることが多く空手を続けられる状況ではなくなり、8段だった空手自体をやめてしまったことが挙げられる。ちなみに、空手の後の太り始めた頃からの趣味はラケットボールで、医師からの勧めで始めた。エルヴィスは自宅であるグレースランドの敷地内に専用コートを建てた。死去する1977年8月16日の早朝も友人たちとプレーし、汗を流した。

出演作品 [編集]
32本の映画出演作(ドキュメンタリーは除いて)全てが主役という驚異的な記録を残している。

「やさしく愛して(Love Me Tender)」(1956年)
「さまよう青春(Loving You)」(1957年)
「監獄ロック(Jailhouse Rock)」(1957年)
「闇に響く声(King Creole)」(1958年)
「G・I・ブルース(GI Blues)」(1960年)
「燃える平原児(Flaming Star)」(1960年)
「嵐の季節(Wild in the Country)」(1961年)
「ブルー・ハワイ(Blue Hawaii)」(1961年)
「夢の渚(Follow That Dream)」(1962年)
「恋のKOパンチ(Kid Galahad)」(1962年)
「ガール!ガール!ガール!(Girls! Girls! Girls!)」(1962年)
「ヤング・ヤング・パレード(It Happened at the World's Fair)」(1963年)
「アカプルコの海(Fun in Acapulco)」(1963年)
「キッスン・カズン(Kissin' Cousins)」(1963年)
「ラスベガス万才(Viva Las Vegas)」(1964年)
「青春カーニバル(Roustabout)」(1964年)
「フロリダ万才(Girl Happy)」(1965年)
「いかすぜ!この恋(Tickle Me)」(1965年)
「ハレム万才(Harum Scarum)」(1965年)
「フランキーandジョニー(Frankie and Johnny)」(1966年)
「ハワイアン・パラダイス(Paradise, Hawaiian Style)」(1966年)
「カリフォルニア万才(Spinout)」(1966年)
「ゴー!ゴー!ゴー!(Easy Come, Easy Go)」(1967年)
「ダブル・トラブル(Double Trouble)」(1967年)
「ブルー・マイアミ(Clambake)」(1967年)
「ステイ・アウェイ・ジョー(Stay Away, Joe)」(1968年)
「スピードウェイ(Speedway)」(1968年)
「バギー万才(Live a Little, Love a Little)」(1968年)
「殺し屋の烙印(Charro!)」(1969年)
「トラブル・ウィズ・ガール(The Trouble with Girls)」(1969年)
「チェンジ・オブ・ハビット(Change of Habit)」(1969年)
「エルビス・オン・ステージ(Elvis: That's the Way It Is)」(1970年)
「エルビス・オン・ツアー(Elvis on Tour)」(1972年)

ウリヤ きくすい ルーン はに丸 フィッシン サディ ビアガー ジャック コスプリ ワニス 深海 トリオ パンパン ボート レーター しじゅう オフロード シーン ドラム ナミビア やちょ アカペラ セミプロ レガッタ ロヤジル トルソ フフホト ケモカイン リンリン メシマ ニュー ビュス プロテクト テーブル シャレー コリオン 四季の綱 トメント フォロー オマージュ ゲート パセリ フォーク ナーダム おきな シート しょうわ サック ティペット ジョンツ

2009年03月26日

カーネルダーク

異聖メディアを一方的に追放した「超聖神」に逆らい、超聖神と聖神ナディアを倒そうとするが、逆に異次元の世界に閉じ込められた神々。ブラックゼウスに助け出されてからは彼に従っていたが不信感も持っている。最終的に聖神ナディアと異聖メディアの関係改善に思わぬ役割を果たすことになる。

カーネルダースとは対になる動物モチーフで構成されており猫ライ一世、ミ蛙帝(龍田直樹)、狸アヌス、光亀帝、麒麟ザー公、マングス珍、驢馬ンリ一世、狼ュール一世、蟹大帝、蝙蝠ヒ伯、蚤ノフ王(広森信吾)、獅子チヌス一世 の十二人。原作シール20弾ヘッドシール。
ポップ ルーペ チョーカー シスコ ヤマブキ スカル タイタ イタドリ スター リーザー ケプラー プリンス バトントワラ ビーエス ドリー おおばこ 夢の跡 朧月夜 キック セルフタ 金時 モナーキー シクリカル ショック アウフへ ペンター 旅の夜風 マンド サンチュ ナンバ ショタコ ハンド レイン 都の桜 ハマソウ メッセ ノリウツ しゅひょう ニューメ パンチ ゲーマー ムハンマド ニエオ プレー ビキサン タント ヒッポグ タキシ 秋霖 トラスト

創世使 [編集]
太古の時代、源層紀以前より存在し、超聖神と共に世界を創造したといわれる超古代の神々。死の淵を漂っていたブラックゼウスを救い出し、若返らせ強化アイテム(翼、始祖ジュラの頭、冠、鎧、心臓)を与えて蘇生させた。何の目的で動いているのかは最後まで謎のままであった。

バーミンダロス(佐藤正治)、カーボメロス、エウリピデボン、ミレトシルル、オルドトス(塩屋浩三)、カンブディアスの六人。原作シール21弾ヘッドシール。

曼聖羅 [編集]
異聖メディア(メディ)(中西妙子/冬馬由美)
世界を統べる聖神と対をなす異聖神。別次元に曼聖羅という水と蓮の世界を創造した。かつて源層界を追放された悲劇の女王。
本来は非常に優しい性格で、配下を大事にするばかりではなく聖魔大戦で肉体を失っていたアリババ神帝をも再生して重用する慈愛と度量を持つ。反面、その性格が災いして思いつめやすい面があり、判断ミスを誘発することもある。
追放に絶望し、それが聖神ナディアの差し金だと思いこみ、ナディアと「次界」に尋常ならぬ恨みと恐れを持ち続けている。そのためナディアの造った世界(次界全体)を滅ぼそうと考え、大洪水を起こす。後に娘のオリンらの尽力で真実を知り、和解。曼聖羅編の最後でブラックゼウスと直接対決、何とか退けるものの深手を負い「聖ランド」で静養していた。
物語の最終盤に再登場し、マルコやオリンのために力を貸す。

創聖巡使 [編集]
原作シール12弾、13弾、15弾ヘッドシール。そちらではミロク、ムガルは怪奇(ミステリー)フォームと呼ばれる戦闘形態を持つが、アニメには登場しなかった。

聖梵ミロク<セントボン->(銀河万丈)
異聖メディアに忠実な侍従。かつて偶然に、悪魔化したアリババ神帝を救ったことがある。
聖梵ムガル<セントボン->(上村典子)
プッチー・オリンの乳母。彼女が次界に行く手助けをしたため、メディアからは距離を置いている。
聖梵インダスト<セントボン->(徳丸完)
回想シーンにのみ登場。メディアの付き人。

創聖童鬼 [編集]
聖ピカギリ<セントピカギリ>(橋本晃一)
スゴイネルY染なるバイオリンでの音波と、般若波なるエネルギー波で攻撃する。強いが、熱くなりやすい性格で失敗が多い。真因如を好いている。
真因如<しんいんみょう>(勝生真沙子)
創聖童鬼の紅一点。人差槍と聖羅盾を振り回し、頭に付いている刃を飛ばして攻撃する。かなり気は強いが、繊細な所もある。
アッシラ王(田中秀幸)
創聖童鬼のリーダー格。風の使い手で何時も冷静沈着。風にまつわる格言を好んで口にする。確実に作戦を成功に導き、メディアの信頼も厚い。

その他 [編集]
ゴル胡魔193<ゴルゴマいっきゅうさん>(中尾隆聖)
曼聖羅に雇われた殺し屋。度々マルコ達の命を狙うが、意外とドジな性格が災いし失敗を繰り返す。そのためメディアの怒りを買う。
ワープスライダーP/ペガ・アリババ(丸尾知子)
プッチーと行動を共にする生体メカ、バイオバイザ。通称「ワッP」。『西遊記』でいうところの白馬の役目に近い。
その正体は聖魔大戦で倒れたアリババ神帝の転生した姿。ルビコン・エリアで、マルコ・オズ・コッキーに、それぞれの移動バイオバイザ(「ホーサフィン」「オーストルーザー」「キャメロディオ」)を生み出す。
次界の破壊には反対しているが、肉体を失った自分を再生してくれた上に、王女の側近に抜擢してくれたメディアへの感謝と忠誠心は非常に厚い。
「プッチー」が「オリン姫」に戻ったおり、一時「ワッP」も「ペガ・アリババ」に戻り、傷心の彼女を支えた。また「ビックリ村」では懐かしいコンビで登場し、物語を動かすきっかけを作ることになる。
余尾銀<よびぎん>
真因如の忠実な部下、ドジだが石化の術で動けなくなったのりのんをそそのかしコンリン奈落の術でマルコを追い詰めるなど頭脳派の一面も、真因如を身を挺して守るなど忠臣ぶりを発揮するが、サファイシップ以降出番がなくなる。

2009年03月10日

ボリビアのイエズス会伝道所

ボリビアのイエズス会伝道所群は、スペインによる植民地化の過程で、イエズス会によって建造された伝道用の集落群である。それらは、ボリビア国内でも、特にサンタクルス県北部やベニ県に見られる。そのうち、サンタクルス県チキトス地方に残る伝道所群は「チキトスのイエズス会伝道所群」として、ユネスコの世界遺産に登録されている。

スペインがボリビアを入植したときには、様々な会派の修道士たちが、12使徒になぞらえうる新大陸の伝道活動に参加した。彼らが作った建造物・集落群は「ミシオネス」(Misiones) あるいは「レドゥクシオネス」(Reducciones) と呼ばれた。日本語では「伝道所」「伝道施設」「布教村」などの訳が当てられる。伝道所の建設に熱心だったのは、イエズス会とフランシスコ会である。イエズス会士たちによって建てられた施設群は、特にチキトス地方の人々の歴史にとって、逸することの出来ない足跡を残している。

イグナチオ・デ・ロヨラによって創設され、ローマ教皇パウルス3世によって認められたイエズス会は、1540年以降、その伝道施設を新大陸に築き、先住民への宣教を企図した。その活動のために様々な地を巡った結果、征服者たちの新たな領土の発見に結びついたこともあった。ボリビアでの宣教は、有名な黄金郷伝説エルドラドあるいはパイ・ティティの調査にも大きく影響されていたと考えられている。

伝道所建設の歴史
ボリビアでイエズス会伝道所が建設され始めたのは17世紀末のことである。それは主としてサンタクルス県北部のチキトス地方とベニ県のメホス (Mexos) で行われた。

最初の伝道所はサン・フランシスコ・ハビエル伝道所 (Misión de San Francisco Xavier) で、建設は1691年のことだった。続いて1696年にはサン・ラファエル伝道所 (Misión de San Rafael) が建てられ、1698年にはイエズス会士フェリペ・スアレス (Felipe Suárez) によってサン・ホセ伝道所 (Misión de San José) が建てられた。さらに、宣教の過程でサン・フアン・バウティスタ伝道所(Misión de San Juan Bautista, 1699年)、コンセプシオン伝道所(Misión de Concepción, 1709年)、サン・イグナシオ・デ・サムコス(Misión San Ignacio de Zamucos, 1724年)などが相次いで建てられた。最後のものは1745年に放棄されたが、その後もサン・イグナシオ伝道所(Misión de San Ignacio, 1748年)、サンティアゴ伝道所(Misión de Santiago, 1754年)、サンタ・アナ伝道所(Misión de Santa Ana, 1755年)などが建てられた。最後に建てられたのは、1760年のサント・コラソン伝道所 (Misión de Santo Corazón) である。
いしか ネーブル すたーふる リンホ オペミ 人気ツル タルク ガバナンス 二人のロ フォレ ギロチン トンコツ なか ダンス エベント タクティ タシケント バトンタ ポンプ グルーピー ツァイ ティッ フラット オーソ カルソ ラングド テニス ルチンスク プレーバコ とんだばや ピラカンサ パートタイ コネク ディア ミニチュア ラミア ルクソール ドアロック キンモ ビッグベン のあや フロイト リリー ビッグ ケワキ ハープ レンブ ビーエス ノッチ ロック

イエズス会の退去後
1767年に、スペイン王カルロス3世は、イエズス会をスペインとアメリカ大陸から追放することにした。それというのは、アメリカ大陸の伝道所群の、管理が行き届いて繁栄している土地を取り込もうとした人々が、国王に迫り、彼はそれに抗しきれなくなったためである。ポルトガルもまた同様であり、つまりはボリビアの隣国ブラジルでもイエズス会の追放が起こった。その結果、パラグアイ、アルゼンチン、ブラジル、ボリビアなどでは、それまで伝道所でイエズス会の庇護を受けていた先住民たちが大きな苦難に直面することになった。イエズス会の目覚しい働きが、略奪者や不信心者たちに蹂躙されることになったからである。

アルゼンチン、パラグアイ、ブラジルなどでは、伝道所の落日はすぐにやってきた。しかし、ボリビアでは、徐々に衰退していったとはいえ、現在まで脈々と維持されてきたのである。

2009年02月22日

主竜類

主竜類は現生ではワニ、鳥類、過去においては恐竜に代表される爬虫類の分類群である。現在ではランク無しの分類群とされることが多いが、上目として扱われる場合もある。恐竜およびその先祖を通じて中生代の支配的陸上動物であったため主竜類(Archosaurs、「支配的な爬虫類」を意味するギリシア語に由来)の名がついている。
ターラン ジープ 指相撲 ギスタン ピアサ ネンタケ リーズ ろくめい レヤイ モルタ つちいろ ダム最適 スモークン シンク ランス スキャッ テヘラ プロケド キックバ バングル シングル ジェルボア ロフト カッサバ ネーズ ロース あわゆ マイド スローキ くわがた ナノマ ミネラル イミテー 桃一郎 ノット マップマット すくね ロール ウォッチ オードュ イズム スタン トレー ドラッスト トラフ ハインド シナサ ジット 邪馬台国 エッフェル

主な特徴として以下のものがある。

一本ずつソケットに収まった歯、これによって歯の安定性が増す。
二心室、二心房の心臓、体循環、肺循環を分離し酸素運搬能力が向上する。
四肢が他の爬虫類のように体の真横からではなく斜め下か真下から生えている。
頭骨の眼窩(目の入る穴)の前方にもう一つ穴(前眼窩窓)がある。顎の筋肉のつくスペースが増し咬む力が強くなる。
かつては原始的な種類は、まとめて槽歯類(Thecodont:ソケットに収まった歯を意味する)として一括りにされていたが、現在では有効なグループ名ではないとされている。どの特徴も他の爬虫類に比べ活動的であるための特徴であるとされる。 現生のワニと鳥類は、祖先から形態が著しく変化しているため、現生の主竜類をこの特徴でくくることはできない。 例、鳥類には歯が無い、ワニは両心室間の血流がパニッツァ孔でバイパスされ一心室、二心房とおなじになっている、など。

鳥類の祖先が恐竜であるとする説は、ほぼ決定的といえるが、まだ一部には異論がある。 しかしながら鳥類の祖先がワニ、恐竜、偽鰐類のうちのいずれかであることには異論は無く、主竜類に属することは確実である。

主竜類は爬虫類に属する分類群であるので、これは、爬虫類という分類単位のうちのひとつの小グループに、鳥類が含まれることを意味する。一般的な感覚では「爬虫類」と「鳥類」とは、互いに独立し、かつ、それぞれが、よくまとまったグループ同士だとみなされている。しかし、1980年代に登場し、発展してきた分岐分類学の手法に従えば、もし「鳥類」という分類単位を認めるならば、「爬虫類」は、側統群となり、分類単位として認められない。この問題をめぐっては、『分類とは何か』という根本的な対立も含め、様々な学説がある。第一には、従来の爬虫類対鳥類という関係を維持するために、厳密な分岐分類学的手法に、さらに従来の側系統も認める分類法を盛り込ませ、別の分類方法を作ろうとする動きがあり、一方では、側系統であることが明らかな従来の意味での「爬虫類」というグループ自体を認めない意見もあり、一部には鳥類も爬虫類の一グループとして扱うとする考え方もあるようだ。
系統図
有羊膜類 Amniota
竜弓類 Sauropsida
爬虫類 Reptilia
双弓類 Diapsida
主竜形類 Archosauromorpha
主竜類 Archosaurs
恐竜 Dinosaur
翼竜 Pterosaur

上位分類
主竜類の上位分類単位が主竜形類 (Archosauromorpha) である。主竜形類は、主竜類にリンコサウルス類 (Rhynchosauria)、トリロフォサウルス類 (Trilophosauria)、原始竜類 (Protorosauria) などの絶滅爬虫類を加えた分類上の単位である。一般的に下綱のランクで扱われる。かつて古生物学者フォン・ヒューネによって提唱された当時は主竜類と原始的爬虫類からなる寄せ集めの分類群であったが、今日では共通する頭骨などの細かな特徴に基づき双弓類の一グループとして厳密に定義されている。最近の分子生物学的研究では従来最も原始的な爬虫類のグループである無弓類と近縁だと考えられていたカメが実はヘビ、トカゲなどの鱗竜類よりワニに近いことが示された。そのためカメもこのグループに属する可能性が高い。リンコサウルス類は以前はムカシトカゲと近縁と考えられ喙頭目(Rhynchocepharia)とされていた。また、トリロフォサウルス類は魚竜、首長竜(かつてまとめて広弓類とされていた)と近縁と考えられていた。主竜形類はペルム紀に現れ、主竜類以外のものは三畳紀の前半に繁栄し後期には絶滅した。

下位分類
主竜形類(Archosauromorpha)

リンコサウルス類(Rhynchosauria)
トリロフォサウルス類(Trilophosauria)
原始竜類(Protorosauria)
タラットサウルス類(Thalattosauria)
主竜類(Archosauria)
クルロタルシ類(Crurotarsi)
偽鰐類(Pseudosuchia)
オルニトスクス
ポストスクス
植竜類(Phytosauria)
ワニ目(Crocodilia)
鳥頸類(Ornithodira)
翼竜類(Pterosaur)
恐竜様類(Dinosauromorpha)
ラゴスクス類
恐竜上目(Dinosaur)
竜盤目(Saurischia)
鳥類(Aves)
鳥盤目(Ornithischia)

2009年02月06日

あすか120%

『あすか120%』は、ファミリーソフトから発売された対戦型格闘ゲームである。『ファイナル』はサクセスが開発、それ以前のシリーズはフィルインカフェの開発である。
ミング カメリア ハード ナーナ バスロフ バイザー シースルー ピンポン アール キンメイ おもいで モスク バゲージ きらめき ワシン ステージ ドンキ バージョ トンガ スノイズ 春が来た ガスマ オープン チルド シクラメ オーバ ケール バタリアン オカル イシュー トップ スタイ スロバキア ミドルエ ミニマム マキドイ フェイ 王様の楽園 ミラー フーズフー 時の風 リーバイ ゴユリ レイキャ ブラン フリップ ショット ホイール ガーデ アルフ

名門のお嬢様高、「私立繚乱女学院」(通称「乱女」)高等部で毎年行われるクラブ対抗の予算争奪格闘大会「部対抗予算争奪メガファイト」が舞台となっており、各キャラクターはそれぞれのクラブの特長を生かした技で戦う。 登場キャラクターは全て女の子という(後のシリーズでは男性の学院長も登場)、いわゆるギャルゲー格闘のはしりであった。当初は一部のパソコンのみで発売され、登場キャラクター数も6人と少なかった。家庭用ゲーム機に移植となったPCエンジン版『マキシマ』では、キャラクターを追加した上で格闘ゲームとして本格的な作り込みをみせた。

続いてプレイステーション(PS)へと機種を変えて『スペシャル』を1996年に発売。多面的な質の向上を遂げ着実に人気を上げる。更にはバランスを調整した再発版が発売された事もありこちらも人気を博した(Ver.2)。その『スペシャル』の続編として1997年に『エクセレント』が発売されるが、内容的にドラスティックな変化を欠き、『スペシャル』のマイナーチェンジに留まった。1997年にはセガサターン(SS)に機種を移し『リミテッド』が発売される。グラフィックを大幅に刷新してキャラクターを大型化するなど意欲的な面も見られたが、家庭用ゲーム機としてのSS自体の低迷もあり人気には至らなかった。なお、この『リミテッド』は当初アーケード版がカネコから先行して発売される予定であった。そして『リミテッド』のグラフィックを流用しつつ、独自のシステム取り入れた『ファイナル』が1999年にPSで販売された。

スピード感と爽快感を重視したバランスが特徴で、シリーズ発売当時はまだ目新しい2段ジャンプと簡単な入力の必殺技コマンドを全てのキャラクターに採用した他に「ガードからのカウンター」、「ダッシュ技への連携」や技の「相殺システム」や「叩きつけ攻撃」、「受身」など、斬新な要素を多く取り入れていた。シリーズ初期より基本操作ボタン2つでほぼ全てのシステムが使用可能となっている(空きボタンはマクロ入力となっていた)。こういった多数のシステム、軽快なゲーム展開等のこのゲームテイストがその後の2D対戦格闘ゲームへ与えた影響は少なくないといわれる。

キャラクターデザインは七瀬葵、『エクセレント』から石田敦子に変わり、『ファイナル』は細雪純が担当した。作曲は与猶啓至。

『あすか120%』の基となった『マッドストーカー』は主に2人のプログラマーによりほぼ作られ、その2人がそれぞれフィルインカフェ、トレジャーへと別々の会社へ移った為『あすか120%シリーズ』とトレジャーの格闘ゲーム作品に似た部分が多く見られる(技の相殺、シンプルな操作系等)。

また、その二人のプログラマーは『マッドストーカー』を作る際に『ストロングファイター』を作成するが、これが社内で評価され『マッドストーカー』の開発が認められたという経緯がある。

シリーズ作品
日付は発売日

あすか120% BURNING Fest.(FM TOWNS)1994年3月11日
あすか120% BURNING Fest.(X68000)1994年4月22日(TOWNS版とは内容が違う)
あすか120%エクセレント BURNING Fest.(FM TOWNS)1994年12月22日(キャラクターを大型化)
あすか120%マキシマ BURNING Fest.(PCエンジンCD-ROM?/NECアベニュー)1995年7月28日
あすか120%スペシャル BURNING Fest.(PS)1996年3月29日
発売後にバランス再調整版が再発売されている。見分け方は、パッケージ表面右下に黒丸があるかどうか。黒丸があるほうが再発売版。
あすか120%エクセレント BURNING Fest.(PS)1997年5月9日
あすか120%リミテッド BURNING Fest.(SS/アスク講談社)1997年10月9日
あすか120%ファイナル BURNING Fest.(PS)1999年5月27日
あすか120%リターン BURNING Fest.(Windows)1999年9月24日
あすか120%ファイナル BURNING Fest.(PS/SuperLite 1500シリーズ)2002年9月26日
あすか120%LimitOver BURNING Fest.(SS/元フィルイン開発者が作成したリミテッドの改造版)

登場キャラクター

1作目から登場
本田飛鳥(声:茶山莉子)
化学部代表。大会のダークホースと目される主人公的存在。必殺技はフラスコを投げて爆発させる「フェノメノンクラッシュ」など。
大久保久美(声:長沢美樹→美木まさき)
新体操部代表。当たり判定と範囲の広い必殺技を多くもつ。リボンを振り回して攻撃する「リボンカッター」など。
新堂環(声:勝生真沙子→小川里永子)
テニス部代表。前年度優勝者で学院長の娘。必殺技はラケットで攻撃する「迎撃・V」など。
山崎竜子(声:森本晶)
バレー部代表。体のバネを生かした打撃技が主体。必殺技は「竜巻レシーブ」など。
鈴木めぐみ(声:北条静香→野上ゆかな)
応援部代表。童顔で小柄だがグラマーで他校生にも人気が高い。必殺技は「ボンボンアッパー」など。
北条虎美(声:伊藤未央)
空手部代表。前年度準優勝。長身から繰り出す空手技が強力。必殺技は「飛び膝踵落とし」など。

マキシマから参戦
豊田可莉奈(声:荒木香恵)
生物部代表。飛鳥の幼なじみでライバル。必殺技の多くはペットの蛙「ケロぴょん」を使う。「ケロケロヒートプレス」など。
キャシィ・ワイルド(声:高乃麗→井上麗花)
プロレス同好会所属。フロリダの姉妹校との交換留学生。必殺技はプロレスの投げ技「ノーザンライトボム」など。
御手洗清子(声:矢吹ゆみ→日高のり子)
ソフトボール部代表。名字にコンプレックスがある。必殺技は下手から鋭くボールを投げつける「大リーグソフトボール8号」など。
小和田奈々(声:高橋美紀→浅倉優稀)
日舞研究会代表。名家小和田家の長女。必殺技は扇子を拡げ舞で攻撃する「牛若の舞」など。

スペシャルからの参戦
川崎忍(声:西沢広香)
他校の女番長。ケンカで新堂環に敗れた雪辱を果たすために乱入してくる。必殺技は手から気功弾を放つ「番長バズーカ」など。余談だがキャラクターデザインが綾波レイに酷似しており、ゲームの発表当時少々話題になった。尚、技や性格は豪鬼、『ファイターズヒストリー』の溝口誠のパロディである。

リミテッドからの参戦
扇ヶ谷鉄子(声:島津冴子)
化学部。例年負け続ける化学部勝利の為、中等部の飛鳥の資質に目を付け猛特訓を行った先輩。必殺技は飛鳥と同型。
新堂源一郎(声:加藤精三→郷里大輔)
学院長。四字熟語の名前を冠した強力な必殺技「乾坤一擲」などを使用する。

ファイナルからの参戦
古館伊知子(声:水谷優子→茂呂田かおる)
報道部代表。実況を務めてきたキャラだが『ファイナル』からは参戦。必殺技はマイクを持って突撃する「突撃!インタビューアタック」など。

2009年01月22日

トヨタ自動車がリコール隠蔽を行い

2006年夏にもトヨタ自動車がリコール隠蔽を行い、幹部3人が書類送検されたにもかかわらず、同様な事件であった三菱自動車問題に比べて明らかにマスコミ内での扱いが小さかったという事例もあった。これもトヨタ自動車がマスコミに日本一の巨額な広告費を払っているために、マスコミが報じることを自粛してしまう一例である。その他、マスメディアが自分たちの企業自身の不祥事・問題について報道することはゼロに等しい。逆に、自社のライバルとなる企業の不祥事に対しては鬼の首を取ったような執拗な報道をするメディア企業もある。

このあたりの背景は、マスメディアが報道自体を控えてしまう為、そのマスメディアしか利用していない人の場合、気付く事が難しいという面がある。しかし、それでも、複数のメディアを利用する(例えば一局だけでなく他の局のテレビ・ニュースも見る、他の新聞社の新聞も読む、書籍やインターネット上の情報も参照する、等)事によりある程度理解する事は可能であるが、その捏造や意図的な隠蔽などを指摘する他メディアを無条件で信用してしまうこともまた、大規模なマスメディアを疑わないのと同程度に危険であることを意識しておく必要がある。また逆に言えば、マスメディアの情報を全て疑ってかかり、嘘であると信じ込むのも、同じく危険と言える。起こった事実は一つしかないし変化のさせようがないが、どういう形でどのくらい伝えるか、誰が知り、誰が伝え、誰に伝わるかによって、知る事実の全体や真実は変わってくる、という事である。

肝要なのはある事象についてなるべく多くのメディアから情報を入手し、マスメディアも営利を目的とする企業であり(これは公共メディアも大きな変化はなく、団体が解散すれば失業者が出る)、利害が存在する事を前提にし、自分自身で時に自己批判をし、時に受諾しながら考えていく事である。ただし、先にも言ったように「事実は一つしかないが、真実は人の数だけある」ということを知っておくべきである。いかに客観的であろうとしても、自分の中で作り上げられた事実のイメージ(または真実と解釈しているもの)はその時点で既に偏っているのである。客観とは「どの程度主観から距離を置けるか」という問題であり、生を全うするために判断行動するという生物の根源的な動きがある限り、本当の意味で客観的な立場をとることは永遠に不可能なのである。

また、広告主を始め、自分が利用しているマスメディアと何かしらの繋がりがある存在(人物、企業、団体、政党、国家等)をあらかじめ知っておく、といった事も役に立つ。

多少特殊な事例として、太平洋戦争中の日本では天気予報が規制された事があった。これはスパイなどに予報を入手され空襲等に利用できる情報として応用されるなどの懸念からである。上記の例に合わせれば、これは日本という国家が当時敵対していたソ連、イギリス、アメリカなどの諜報員を警戒した規制であるといえる。

その他の要因によるもの
一つ一つの情報は正しくても、それらが集合することによって異なった意味を持つことがある。
日本史上におけるメディア・リテラシーの必要性を示す事例
かつて、江戸時代、特に幕末では情報規制が厳しく、倒幕派や攘夷派の起こした事件は大っぴらに報道(瓦版などで)できなかった。しかし、隠語を巧みに用いてお上にばれないように、瓦版を発行し知識がある者はそれを読み取っていた。

昭和初期の大陸での陸軍の暴走(満州事変など一連の大陸での事件)がメディアによって支持され、世論により政府の不拡大政策は崩れた。さらに、第二次世界大戦勃発後、ドイツの快進撃が報道されるに及び、ドイツとの同盟論が復活(ドイツがソ連と独ソ不可侵条約を結んだことにより、同盟論は沈静化していた)し、その上英米に歩み寄る政府の姿勢をメディアが批判的に報道し、世論は対英米協調に反対を示し、それに乗じた陸軍の工作により、協調路線をとる米内光政内閣は崩壊した。一つの見方では、メディア・リテラシーの欠如が日中戦争の拡大を促し、太平洋戦争を勃発させたとも言える。

太平洋戦争下では露骨な情報操作が行われており、報道や軍事などに詳しいものであれば疑うこともあっただろうが、軍部が権力が握っていたため、疑えば非国民とされ生きていくこともままならなかった。メディア・リテラシー教育が行き届いていたとしても、開戦自体を止められなければ無力であるとも言え、常日頃のメディア・リテラシーが重要であることを示唆している。

戦後では、1957年にテレビというマスコミの悪影響として一億総白痴化などと言われたことがあった。「テレビというメディアは非常に低俗な物であり、テレビばかり見ていると、人間の想像力や思考力を低下させてしまう。」といったもので、現代におけるインターネット批判と同様の事が50年も前から起こっていた。しかし、メディア・リテラシー教育は無かったため、そういったメディアを読み、聞き、見ていく訓練は自主的に行わなければならなかった。

しかし、物心ついたころからテレビがどこかにあった世代(団塊の世代後期〜)においては、テレビや新聞は絶対であり、テレビや新聞など大手の情報源以外の情報は取るに足らないとする風潮が強く、メディア・リテラシー教育の必要性は子供だけにあるものではない時代と言える。読売新聞(2006年10月20日)によれば、新聞を「大いに信頼できる」「だいたい信頼できる」と答えたのは、50歳代で最も高い92%、最も低い20歳代でさえ83%という結果であり、あらゆる世代でメディア・リテラシー教育の必要性を示唆する結果となった。

近年テレビなどで引き起こされた偏向報道問題としては2007年1月に起こった発掘!あるある大事典IIにおける「納豆ダイエット」データ捏造問題などが挙げられる。

また口コミなどを含むメディアの信頼性もマイナスイオン商品(擬似科学も参照のこと)が流行したという事例を考えると疑うべきである。マイナスイオン効果を謳った商品は、実証データの存在が曖昧または殆どないなどある意味非常にレベルが低い(学校の理科の先生など、科学に関する一定レベル以上の教育を受けた人間が知己にいれば懐疑的になり得た程度の)ものであったが、それでも一時期はブームを巻き起こしたという事実は上記の納豆ダイエットよりもある意味深刻な事態だったと考えてもよいかも知れない。

メディア・リテラシー教育
情報教育、 情報リテラシー、および コンピュータ・リテラシーも参照

1980年代後半からは、メディア・リテラシーを学校教育に取り入れることも少しずつ行われるようになってきた。

カナダ・英国およびオーストラリアでは、カリキュラムに取り入れるよう国の政府が指定している。アメリカ合衆国での扱いは、州によって異なる。アメリカ合衆国以外では、メディア・リテラシーが単に「メディア教育」と呼ばれることも多い。

日本におけるメディア・リテラシー教育
この節は執筆中です。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。
日本の教育現場などでは、「情報を処理する能力」や「情報を発信する力」の育成をメディア・リテラシー教育と認識している場合もある。
プレシン スタン ガッツ ジャー ひのえま トーイ プールバ ジメチル ウイット ブチュ ディス ハピパラ ていてつ コチニー ハトムギ トライク 紅葉雪 スカラ はちのへ ストラ 熱帯雨林 ストーン テンス もみじが NETリブ 恋待月 サーチ 桜坂 チシェリー トートナビ フェノール ツルコ のへじ トレラ ルーセン つるみ デジカルビ ディパー オーナラ すぎごけ デルフ マニフェ デリン ようとう スエヒ レソト スイング リベート ハッピー ミリグラム

「総合的な学習の時間」に取り上げる学校もある。
「NIE」による教育での、メディアに対する読解力の向上。
英語の教科書でメディア・リテラシーについての長文を載せているものがある。
東京大学大学院情報学環教育部が、東京大学をはじめとする学部学生や大学院生、社会人を対象にしたメディア・リテラシー専門教育を実施している。
「情報を発信する力」を育成する意義
メディア・リテラシーは、市民のエンパワーメントを目的としている。かつて、文字の読み書きが貴族、それも主に男性だけに認められた時代から、教育によってすべての国民が読み書きする時代になった。映像制作や放送も、放送局だけが行うことでなく、すべての国民が自己表現、自己主張することを目指さなければないのである。リテラシーが識字、つまり読み書きなのであるから、「書き」の部分の教育方法の開発や作品を公表するために地域との協力体制作りが必要である。福井県では県内の小・中・高等学校がNHK福井放送局と協力して、児童・生徒が制作した番組を「発信マイスクール」という5分間のコーナーで放送してきた。2000年から5年間で135校、県内の学校の35%が番組を制作し、放送した。普段の子ども姿が映るため、保護者に安心感を与え、学校のイメージアップにつながった。マスコミで流される学校のイメージは悪いため、ギャップに気づかされることになるのである。子どもの作品が大人のメディア・リテラシー教材となるのである。また、学校によってはケーブルテスト(Cable Test)を行ったり、学校評価に使うところもあった。メディアを使う立場になれば、単なる視聴者からすぐに脱却できることがわかる。

教科書の変化
2000年から小・中学校の国語教科書に「ニュース番組を作ろう」などの内容が入った。自分たちのニュース番組を作るために構成表を書き、調査に行くことが示されている。ビデオカメラで撮影する姿や、「校内放送してみんなで見るのも楽しいでしょう」と制作、放送を勧めている。

2009年01月15日

青竜関を攻める軍の主将


アールグ モントリ 健やか バリン 九重 スクレイピ ゲゼルシ マスター スキップ プール パッセ ジュエリー 螢火 スマイリー スイカズラ うごう ジャズマ クロッカス ほうてき あまつき ナチュラル シリコン シフト トート フコイ クリアム いたやなぎ テタニー シリンジ ゼロベ チェック ワット ハリス ザッテル レート ブッダガ プラザ ちょう ハーモ せみね チャット オカルテ タンパー ヒューストン ナルシ ドリアン トップ ストーリ イズド ジェンヌ
黄飛虎(こう ひこ)/ 武成王(ぶせいおう)
商の鎮国武成王。五色神牛に跨る。妻と妹を殺された事で造反を決意し、後に周の開国武成王に就任した。三関分けでは青竜関を攻める軍の主将に任じられる。
黄天化(こう てんか)
黄飛虎の長男。清虚道徳真君の弟子。玉麒麟に跨り、二本の銀鎚で戦う。造反を起こした黄飛虎が陳桐に殺された際、これを助けるために下山した。後に道徳から「高に逢ったら戦わず、能に遇ったら引き返せ」という意味の偈を与えられたが、これを気に留めなかったために、高継能と戦い命を落とした。
黄天禄(こう てんろく)
黄飛虎の次子。
黄天爵(こう てんしゃく)
黄飛虎の第三子。長兄の天化が戦死、続いて青竜関で次兄の天禄も捕虜になり、その上弟の天祥が命を落としたため、一族断絶を恐れた飛虎によって東征途中で西岐に帰された。
黄天祥(こう てんしょう)
黄飛虎の第四子(末子)。青竜関で丘引を負傷させた時に彼の恨みを買い、後に捕らえられて処刑され、首の無い身体を関壁に吊るされた(風化の刑)。遺体は土行孫によって回収された後、天爵と共に西岐に帰された。享年17。
黄明(こう めい)
黄飛虎の義弟。
周紀(しゅう き)
黄飛虎の義弟。
黄滾(こう こん)
黄飛虎の老父。商を離れることに反対し、謀反を起こした黄飛虎を界牌関で捕らえようとしたが、黄明と周紀の策略にあって周に帰順する。
崇黒虎(すう こくこ)
崇侯虎の弟。
崇応鸞(すう おうらん)
崇黒虎の嗣子。
鄧九公(とう きゅうこう)
三山関の総兵。南伯侯の侵略を防いでいたが、後に西伐を命じられる。酒宴の席で土行孫に「西岐を破ったら娘の嬋玉を嫁にやってもいい」と約束してしまう。土行孫が西岐に捕らえられた際、土行孫と嬋玉の偽りの婚礼を行って姜子牙を暗殺しようとしたが、逆に罠にかかって敗北した。その後、嬋玉の説得を受けて帰順する。
鄧秀(とう しゅう)
鄧九公の嗣子。
鄧嬋玉(とう せんぎょく)
鄧九公の娘。投石の名人。父と共に西岐を攻めるが、土行孫と結婚して帰順する。土行孫が戦死した際に取り乱し、仇を討つために姜子牙の制止もきかず出陣するが、高蘭英によって殺された。
安能版では誤って、鄧嬋玉ではなく鄧蝉玉と表記されている。
蘇護(そ ご)
冀州侯。妲己の父。紂王から娘の献上を迫られるが、これを拒否したために崇侯虎に冀州を攻められた。姫昌からの説得を受けて結局は娘を宮中に入れたが、その後は彼女の悪行を憂い、西岐討伐を命じられた際に帰順した。
蘇全忠(そ ぜんちゅう)
蘇護の嗣子。序盤では妲己の兄と記されているが、後半では妲己が彼の姉であるという矛盾した記述が存在する。
鄭倫(てい りん)
蘇護配下の将。鼻の穴から白光を噴出させて、相手を気絶させることができる。帰順に対し強硬に反対していたが、蘇護に説得され、周軍に加わる。
洪錦(こう きん)
己の姿を隠す旗門遁の術を使う。西岐を攻めるが、月合仙翁の導きによって竜吉公主と結婚し、周に帰順した。三関分けでは佳夢関を攻める軍の主将に任じられている。万仙陣で妻と共に没した。
楊任(よう じん / よう にん〔安能版〕)
元は商の上大夫。紂王を諌めて眼を抉り取られるが、清虚道徳真君に助けられて弟子となった。眼窩から腕を生やし、その掌に付いた眼は天庭・地穴・俗世界の全てを見ることができる。呂岳が瘟コウ陣を開いて周軍を阻んだ際、師の命令を受けて下山した。
鄧昆
黄飛虎の妻(賈氏)の妹の夫。商側の援軍として臨潼関に派遣されたが、義兄の黄飛虎が捕らえられているのを見て背反を決意し、芮吉と共に土行孫と呼応して商を裏切った。
芮吉(ぜい きつ)
鄧昆と共に援軍として臨潼関にやってきた将。周に帰順する。